訃報
ありがとう お疲れ様でした。
我が実家には杏がずっと一緒に住んでいました。
勿論RUNが仕事で夜勤に入る事が多かったのでその時は、マーシーもエイドもずっと今もお世話になっていました。
その家には私の両親は勿論、おばあちゃん102歳も同居していました。
本日朝方。眠るように逝ってしまいました。
思えばエイド達が生れる時すでに93歳。
それなのに夜中の2時!出産が始まったと聞くと、ベットから飛び起き椅子に座って生まれるのを見守りすべての子を抱きあげてくれました。
我が家R・Mercyの家族にとっておばあちゃんは家の中での大きな存在でした。
物静かで怒る事はなく、目がほとんど見えなかったので伝え歩きでしたが、耳がよくマーシー、エイド、杏がどこにいるかをいつも確認してくれていました。
RUNは足も悪く、目も見えないおばあちゃんが走り回る犬たちにつまずき転んで骨折しないか心配していましたが、結局一度も犬たちはおばあちゃんを転ばす事はありませんでした。
100歳を超え食事後、しんどくても、
夕食を3匹でするワンズ達の食事を見終わってからベットに戻っていました。
最後の数日それも出来なくなり、水分もとれなくなり、眠る時間が多くなり、
本日朝、いついったかわからない位、しずかに逝ってしまいました。
私にとっても偉大な祖母でしたが、ワンズ全てにとっても偉大な母でした。
最後の逝き方まで皆が望むような。
家で、眠るようにを絵でかいたような姿で行きました。
長い長い旅。お疲れ様でした。
RUNのおばあちゃんで、またこの子達のあばあちゃんでありがとう・
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ごめんねの効力
待て、次ね、あとで、あしたね、今度ね
エイドは昔から我慢が多かった
どうしてもマーシーが優先になりマーシーに介護が必要になるとマーシーの次にエイドの事というのが定番になっていった
マーシーは初産が5歳という遅さでエイドを産んだ
なのでエイドが遊び盛りの頃、マーシーは若い頃災害救助犬で痛めた足の為すでに介助や気遣いが必要な体になっていた
「エイド〇〇しようか!」というと無邪気に喜ぶエイド
期待して尻尾から体から頭までぶんぶんに振って脳震とうを起こすのではと心配するほど喜ぶエイド
しかしそういう時に限ってマーシーに非常事態が起こり後回しにされたり、時には反故にされたりしてしまう。
「エイドごめんね」・・・・(説明)
また今度ね、ちょっと待っててね、エイドは次ね!!
と続く
「エイドごめんね」からはじまるこれらの言葉
この言葉は枕詞(まくらことば)になってしまった。
この言葉はエイドを落胆させそして長い年月をかけてあきらめの良い犬に変えてしまった。
子供のように泣いたり怒ったり、地団駄を踏んだりしない。
この言葉から続く人間の言い訳がどこまで理解できるのかは不明だ。
今回も「エイドごめんね」夜に雨が降ってなかったら行こうねという私をぺろぺろといつまでも尻尾ぶんぶんでなめ続けるエイド
きっと「いこうね」という言葉に期待を込めて尻尾ブンブンなのだろうが、毎回の私は申し訳ない気分でいっぱいだ。
家族(犬の家族に人間の家族)に色々と不測の事態が起こるためそのつど対応し犠牲になるエイド、そのつどエイドの対応に励まされているが、本当はどう思いどんな気持ちで何に対して尻尾を振っているのか知りたい・
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心の隙間
エイドの心の隙間は?
以前から伝えている通り、マーシーは私にとって生活の全てでした。
幼い頃は常に一緒でした。
仕事も一緒に行き。掛け持ちアルバイトも車で冷房や扇風機をつけてまっていました。
そして職場の方やお客さまが休み時間や待ち時間には一杯遊んでくれました。
その為、災害救助犬やセラピー犬に必要な特質が身についたのでしょう。
だからこそ家族3匹いてもどうしてもマーシー中心の生活でした。
息子のエイドも娘の杏もおそらくそれに何の疑問もなかったと思います。しかし
杏は普段の生活を私の実家、特に父に可愛がられ、ある意味で一人っ子を経験もしているのです。
そして私の夜勤専従という仕事柄上、マーシーママやエイド兄貴がやってきて泊まる事も多く家族団らんも経験しています。
しかしエイドには一人っ子という経験はありませんでした。
常にマーシーがいたのです。
今初めて一人っ子という立ち位置を経験しています。
ゆえに初めのうちは挙動不審や自分の居場所が分からないといった仕草も見られかわいそうでした。
私もマーシーや杏を失って心の隙間が出来つらいと感じる事が今でもありますが、エイドだって一緒なのでしょう。
あれだけ散歩といえば飛び出して、狂ったように飛び回っていたエイド。
いつまでたっても落ち着かないねと言われていたエイド。
でもすっかり落ち着いて・・・・
いえ、元気がないともいえるのかな?
散歩に出てもこんなんです。ちょっと病気かなとも思ったのですが。
・・・・
心の病気というとちょっと大げさだけどこれが
心の隙間
なのかなと思いました。
今は、残された者同士、励ましあい、支え合って行こうね。
今までの関係とは微妙に変わってくるのでしょうが、私たちの間も今の位置関係を心地よいものにしていこうね。
これからもどうぞよろしくね。
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杏 癌と一年戦う
杏は本当に強くたくましい子でした
杏の事を少し
杏はマーシーの娘。エイドの妹です
マーシーママと本当に同時期に口腔癌発症しました。
マーシーは下の方。杏は上の方でしたが出来た位置が口の中の上中央部分でしたので手術も困難。
取ったとしても全部取り切るのが難しい場所で再発症の可能性が高い場所だそうです。
そのリスクで手術は100万以上。
又かなりの部分の切除するため食事などなどで支障も出る可能性が出るとの事。
杏は父の家に住んでいたので家族と相談。
そんなに苦しんシンドイ思いをさせて手術のリスクが高すぎると手術はやめて副作用が出ないよう調整しながらの抗がん剤投与で対処することを決めました。
毎月、毎月隣の市まで車で40分以上かけて通いました。
でも以外にも杏は元気でずっと過ごしてくれました。
口の中のガンは膨らんできますが。
出血もなく普通にくらしていける時期が長く続きました。
杏は発症以降1年以上がんばりました。
この画像は9カ月目の画像です。
春を迎えれたという喜びと。痛々しい左のお顔。
外側はかなり腫れていますが
腫瘍を焼き切る手術は亡くなるまで2回しました。
痛みや、不快さなどが軽減されると言われこの手術は受け入れました。
こちらの画像はなくなる3か月前です
川にも飛び込んでボール遊びもしました。
口の中が腫瘍で狭くなっているのでボールは小さいボールになってしまいましたが。
この時点でも転移は見られないと言われていました。
でもきっとしんどい日もきっとあったはずですが。
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ヌーボエイドとキリッとエイド
エイドはどっちかというとほんわかしている
私的にはそれでよいが時々カメラを構えると
キッリッとラブを撮りたくなる。
と・・・
無理に撮る
ボールを使って
と無理に撮る
でも本当はエイドの体重からしたら飛びつきジャンプはさせれないのですが。
って実はあまりジャンプしません。(笑)
普段はこんな感じ。
ぬーぼ エイド君です
これでいい。
これがいい。
そうそう。このバックの映像ですが。
去年の豪雨で岡山が湿地帯である。中州をかなり伐採してしまった。
そこにしかいない生き物、動物がいるとかでかなり昔から反対しているグループもいると聞いていたが、豪雨で沢山の木やゴミが引っかかってそれらの処理と共に伐採に踏み切った。
以前のエイドの秘密の遊び場所も今は完全伐採されてなくなった。
仕方ないのかな?
以前の画像又載せてみたいです。
今日のふしぎちゃんは
この画像
散歩コースの至る所にあるこの画像。
誰が?何の目的で?
それとも〇〇〇〇ーサークル?(笑)
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